出家・得度・入門、言葉の違いをやさしく
「僧侶になりたい」と調べ始めると、出家、得度、入門という三つの言葉が入り混じって出てきます。似ているようで、指しているものは違います。結論から言えば、出家は生き方の転換、得度は師僧から僧名と戒を授かる儀式、入門は道場や師のもとで学び始めることです。この三つを分けて理解しておくと、ご自身がいま何を求めているのかが見えやすくなります。
出家とは ― 家を出るという生き方の転換
出家は、文字どおり「家を出る」ことです。仏教の原点では、家庭や職業といった世俗の暮らしを離れ、修行に専念する生き方そのものを指しました。釈尊が王宮を出たことが、その原型です。
ただし、現代の日本では、この言葉はかなり広い意味で使われています。寺院に住み込んで修行に専念する場合も、仕事や家庭を持ったまま僧侶として生きる場合も、ひとまとめに「出家した」と言われることがあります。一般に、出家という言葉は制度ではなく、「仏の道を自分の生き方の軸に据える」という内面の転換を表す言葉だと考えておくと、混乱が少なくなります。
得度とは ― 師僧から僧名と戒を授かる儀式
得度は、儀式の名前です。師僧(しそう)のもとで剃髪または剃髪に準ずる作法を受け、僧名(戒名)を授かり、戒を受けて、在家から僧の側へ立場を移します。真言宗では、このとき十善戒を授かります。「度」は彼岸へ渡るという意味で、「得度」は渡る資格を得た、つまり仏弟子としての出発点に立ったことを表します。
出家が生き方の転換を表す言葉だとすれば、得度はその転換を目に見える形にする儀式です。ですから、「出家する」と言うとき、その具体的な第一歩は多くの場合「得度を受ける」ことになります。
一つ注意したいのは、得度を受けただけでは、葬儀や法要を勤める僧侶にはならないということです。得度は入口であり、その後に宗派が定める修行を満行し、僧籍に登録されてはじめて、僧侶としての活動が認められます。真言宗の場合、その修行が四度加行(しどけぎょう)です。詳しくは正本ページ「得度とは」と「得度のご案内」にまとめてあります。
入門とは ― 学び始めること
入門は、宗教に限らず使われる言葉です。師につく、道場に入る、学び始める。そのすべてを指します。僧侶の養成に当てはめると、面談を経て入門が決まり、得度を受け、修行に入る、という順序になります。
つまり、入門は得度の前にあります。入門した時点では、まだ在家の方です。その方が得度式で僧名を授かり、仏弟子となります。
三つの言葉の関係を一つの線に並べると
順に並べると、次のようになります。
| 言葉 | 指すもの | 時点 |
|---|---|---|
| 入門 | 師・道場のもとで学び始めること | 面談で入門が決まったとき |
| 得度 | 僧名と戒を授かり仏弟子となる儀式 | 得度式の当日 |
| 出家 | 仏の道を生き方の軸に据えること | 内面の転換。得度を機に自覚する方が多い |
「出家したい」と思っている方は、まず「入門」し、「得度」を受けることになります。そして、得度のあとの修行と日々の勤行のなかで、「出家」という言葉の意味を、ご自身の暮らしの中で少しずつ確かめていくことになります。
在家のまま「出家」はできるのか
ここで多くの方が気にされるのが、仕事や家庭を持ったままで出家と言えるのか、という点です。
現代の日本では、仕事を続けながら得度し、修行を満行して僧侶となる道が開かれています。寺院に住み込む生き方だけが出家ではありません。暮らしの場を変えずに、暮らしの中身を変える。そういう出家のかたちが、いまは一般的になっています。当道場では、これを「在家得度」と「出家得度」の二通りとして整理しています。違いは正本ページ「在家得度と出家得度の違い」をご覧ください。
後悔のない生き方という観点から言えば、出家とは、家を出ることではなく、「自分がどう生き、どう死を迎えるか」という問いを、生活の真ん中に据えることだと私たちは考えています。その問いは、家の中にいても立てられます。
当道場の場合
心照寺 春日部道場では、面談で入門が決まった方が得度式を受け、仏弟子としての名を授かります。得度・授戒のみの課程と、得度して四度加行に進む課程の二つがあり、どちらも在家の社会人の方が仕事を続けながら歩んでいます。四度加行に進む方は、得度から伝法灌頂まで通常6〜8か月です。
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